「四月になれば彼女は」読書感想(川村元気)

あらすじ

主人公の「藤代」君はずっと苗字で呼ばれ続ける。
藤代俊と名前が明かされるのは、前の彼女からの手紙だった。
大分後半で届く手紙で、やっと主人公は自分を確立したような印象を受ける。
自分は藤代家の一員だった。けれどもその藤代家は親同士が離婚してバラバラになってしまった。
自分もバラバラになってしまったような、「藤代」じゃなくなってしまったように感じた。
けれど、藤代家ではないところで、自分を見つけてくれる人がいた。
自分で自分を作るんじゃなくて、周りが自分を認めてくれた。
だから私は藤代俊になった。

主人公の気持ち

大学時代の友人たちと時間を過ごし、いろんな人の思いを背負って生きていた。
けれども、何もかもが嫌になって放り出してしまう。
求めようとしても手に入らないから、最初から求めない。
そんなふりをしてずっと過ごしてきた。けど、そうじゃなかった。
求めない限り、手に入らないのだ。
求めて手に入れたつもりのものは、ほんの一部でしかない。
それはそもそも手に入れたことにはならない。

私の解釈

彼氏としか寝たことがない女から、夜を奪ったつもりになっても、相手は私のことをカウントしない。
私は奪ったつもりだけど、相手は何も奪われてない。むしろ相手が私に与えたのだ。
空しいのはどっちだろう。奪ったつもりの何も得ない人と、何も考えず与える人。
手に入れるということは持ち続けるということだ。
相手を思い続けるということだ。
そんな面倒なことをしなくても良い世の中になっている。
合理的に考えたら結婚なんていらないんじゃないか。
だけど、不合理な世の中で、合理的に考える必要がどこにある?
何でもかんでも正しければ良いってもんじゃない。
不合理でも、意味がなくても、自分のために生きよう、さらば!

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