果てしない執着の物語
昔好きだった女の子が死んでしまった。
今はもう存在しないのに、その女の子に執着し、理想化し、自分がコントロールできなくなっていく。
死んだ人は何も語らないから、自分の好きなように想像し、妄想することができる。
そして、現実が見えなくなり、今の現実を否定するようになりどんどん塞ぎ込んでしまう。
主人公は純粋に生きている人が羨ましいと言い、自分はそうではないと否定する。
他人は自分に無いものを持っている。
誰しも自分より優れたところを持っているが、そこだけを見て、自分が優れていない等と思う必要はない。
遂には勝手に同情するようになる。このひとは僕と同じで絶望の淵に立たされているんだ、だから僕が救ってあげないといけないなどと。
いずれも勝手に敵を作って勝手に味方になって勝手に戦っているだけだ。茶番だ。
それに気づかず、湧き上がる感情に身を任せ、どうして自分じゃないんだと憤り、死にたくなれば死のうとし、奪いたくなれば奪おうとし、感情を抑えることができなくなる。
人の妻に対し、どうして自分の妻ではないのかと戯言を述べる。
自分のものと勘違いして一人の女に執着する。
この世の中に自分のものなどというものは存在しない。全てはいっときの借り物なのだ。
勘違いしてはならない。
感想
ウェルテルさん、どうして死んじまったんだ。
嫌われていいると思ったのか、病んでしまったのか、執着していることに気づかなかったからなのか。
ウェルテル、君と同じように世界を見ている人は大勢いるだろう。
今も多くの人がこの本を読み、内容について共感している。
けれども、死んでしまってはどうしようもないじゃないか。
次にどうしたら良いか、私達は学べないじゃないか。
皆、自分たちを持て余している。
有り余る富に囲まれて、幸せを感じては、次の幸せを求め、自分でないところから幸せを見つけ出そうとする。
そんなことを延々に繰り返している。
そんなものじゃないのか、ウェルテルさん。
同じ道を歩むなという警告なのか。
そんなに共感させておいて同じ道を歩むなとはなんと難しいことを言うのか。
調べれば答えらしいものが提示される現代において、なんて難しい事を言うのか。
私達が難しいと思っていることは、当時の人々は難しいと感じないというのか。
いや、常にこれは難しい問題なのだろう。誰もが挑戦し続ける問題なのだろう。
続けるしか無い。途中で放り出すわけにはいかない。
脈々と受け継がれてきたように、私達には私達のできることを伝えていかなくはならない。

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